2011年12月30日金曜日

day by day






なんだかするりと一枚脱げたような気分。今日は仕事おさめ!1年丸々たったけど、よくがんばった、と言いたい。今日みんなに挨拶して職場を出てから、ツンとした寒さの中バス停まで歩いてて、ああ今年は良くやったなという達成感が湧いた。そして大掃除をしているとき、改めてオフィスを見たら、いつかここを見てこのときここで働いてたな、と思う日が来るんだなと思った。今普通に会社に行っていることが、確実に人生のページを数枚は埋めていることになる。その先はどこにいくんだろう?来年はそれだな!




2011年12月27日火曜日

昨日、今日、夜、朝

なんだかからっと晴れていて、よけいにそれが寂しい12月の一日だった。理由はなんとなくわかっているけども。自分が敏感になると、それが現実になる時があるからこわい。多分、実際はそんなに深い意味なんてないのに。

今年が終わる。

よく考えると、いろいろ挑戦の多かった年だと思う。文句を言いながらも頑張った。来年は文句の数を減らす。そして、いつのまにか文句を言いつつもたくさんのことが出来るようになっているのもいいことだ。もっと先のゴールが見えるといいな来年は!

今週の一枚
Love Machine:

2011年12月15日木曜日

into the abyss



Watched this documentary few weeks ago. Pretty intense, makes you speechless for a good couple of hours. Some people even left the theater in 20 min. Worth to watch. As a person who like to write, I tended to focus on the questions the interviewer asks than answers. Questions determines the quality of interview, no matter how great the subject is, the question sucks, you don't get none from subjects. This one was very simple, direct, but well thought.. Succeed to pull out many things that you've never read or heard anywhere else.


数週間前に見た。とてもすごいので、見た後はしばらく無言になった。はじまって20分ぐらいで映画館を出る人も居た。書くことが好きな自分としては、いつもこういう時に答えよりも質問に集中する。インタビュアーがどんな質問をするかで、いくら対象が良くても何も出てこないこともある。質問はインタビューのクオリティーを左右する。このドキュメンタリーは、とてもストレートで、まっすぐで素直な質問をぶつけていたので、見たことも読んだこともないような本質を引き出すことができている。

2011年12月8日木曜日

D for Dries



I love this guy. The independent shining star, never be overshadow by any others. Please read this and see what I mean. I admire him, it made me hold on to give his cloth (that i love so much and have not wear for a long) to consignment shop.

2011年11月24日木曜日

:-( (-:





仕事がとてもつらい一日だった。イライラしてどうしようもなく、自分が雰囲気を壊しているのをわかりつつも身体から湯気が出そうなほどいらだっていた。キャパシティー以上の仕事量を与えられることは自己成長のためと思う気持ちはもちろん大きいけど、いっぱいいっぱいになって「まだちょっと自分には無理です、時間が必要です」と言うラインは自分自身が把握していないといけない。

明日からデトロイト!ここ数日睡眠時間が極端に少ないので、フルパワーをチャージするため今日は早く寝たいところ。かなり久しぶりの遠出なので楽しみで仕方ない。今晩の荷造りも楽しみ。旅!旅!旅!いい気分。



It was the most irritating day at work. I was so upset and could not control myself even I knew I let the mood down at the office. You could probably see the boiling steam from my head. I've been trying to think that given a lot of responsibility is the great opportunity to grow. I want to grow. But at the same time, I have to know my limit to just say "I think this is too much. I'm not ready". Where's the line between these two?

Hit the load to the Detroit tomorrow. Haven't gone for a long distance for a while now so I'm over excited. Haven't have enough sleep these days, so need the power sleep tonight to enjoy fully... cant wait!

2011年11月17日木曜日

work it out


Having time, broke, and bored to the hell is kind of great thing in life. It's hard to keep your curiosity constant when you're busy or having money. Put your foot down on earth when we have legs that work fine, and no work tomorrow so just stay up late without worrying about being late tomorrow morning. I am being sentimental about the free days I had last year, and still think I could have done so much more. But time moves on, and it's not a bad thing either.

2011年11月14日月曜日

週末のこと


今週末はなんだかダラダラしてしまった。金曜日は、ゆきこさんのバイトお別れ会(特にわたし関係無し)になぜか参加し、そのあとずんさまの家でレコードをききまくる。R&Bを集中して責める。98年くらいの、レディース名義ボーカル&ラップのからみがいいよね。フック2回目くらいで入ってくるあの今聴くとなんかいなたいんだけど、そこがすごく気分。前から言ってるけど。そのあと、Just BlazeのDJを見に、近所のTammany Hallへ。ずん様の強いごり押しでいやいや入ったTamanny Hallだけど、若者がたくさん集っていて、皆踊ってるし、お金を落としてるし、おしゃれしてるし、まさにリアルパーティーといったかんじだった。パーティーについてしばし考えさせられる。やっぱり人が入っていて、楽しんでいないとそれはパーティーじゃないのかも。


Super lazy weekend. Friday, I joined Yuki's part-time job farewell party, which I have nothing to do with. Then, stopped by Zun-sama's house to browse his record collection. I checked R&B crate, and it was fun! I like 97-99, women's vocal. After the 2nd hook, rap starts. Kind of cheezy, but that's the best part. After that, we all went Tammany Hall on Orchard street to see Just Blaze. It's not my kind of party at all, but there were a lot of young people dressing up, spending money, dancing. I really felt like that's what the real party should be. The good party has to be packed and making money with people's smiles.

土曜日に続けて見た映画: The movie that I watched

Burning Bed: ★★☆☆☆

Farrah Fawcettの演技を一度は見てみたかったので、いい機会になった。家庭内暴力のストーリー。裁判のところが結構はしょられてて、これがどれだけ当時はすごい裁判だったかというところはなかなか伝わりにくい。そして、「去らない女も悪し」という結論に至ってしまうのだった。印象的だったのは、Franの着てたギンガムチェックのブラウス。あれは夏つくってみたい。


I wanted to see Farrah Fawcett's acting, so it was a good opportunity. Abuse story. It was strange the most of the court part was cut, so it is hard to understand how important this case was back then. Just made me re-recognized "Women don't leave the guy has a big problems as who abuse." I know it's not that simple, but her role was not that strong to make change my idea. The best part was her gingham-checked frill blouse. That was sweet. (She will be beaten in the first time after she wear that blouse though)


Why Do Fools Fall In Love
★★☆☆☆

50〜60年代にかけて活躍したFrankie Lymonについての映画。彼の人生に登場した3人の女の視点でストーリーは展開する。主人公の俳優がどうしても顔が好みじゃないので、なかなか感情移入しにくかった。「スターで居ることって、大変なのね。」と心から思わせる、裏切りや葛藤、傲慢やフラストレーションはよく描かれていた。特に若くてヒットなんて産むと、本当に大変だよなぁと思う。改めて考えると、アメリカのショービズ界なんて狂いまくってるもん。

It's about the singer, Frankie Lymon and three women in his lifetime. The main actor was not my type at all, so it was hard for me to really get into the story. Made me think how hard to be young, being in the show business and keep up with the hits. People expect you a lot and exploit you a lot. When you think about it, American show business is all crazy. C-R-A-Z-Y.

このインテリアはとても素敵だった。ZOLAって人には会ったことないけど、よくある名前なのかな?かわいい。

I liked the Zola's house in Hollywood. I've never met the girl named "Zola", I think it's pretty.






トレーダージョーズで買えるこちらのグミにはまっている!堅さ、形、味、甘さ加減、すべてにおいてマスターピース。とまらなくてこわい。


The Mango Gummi from Trader Joe's is the bomb! The perfect thing in the world. Somebody, please hide this where I cannot see.

2011年11月10日木曜日

a day in the life



先週Hotel DelmanoでDJする予定だったんだけど、到着したらすでに他のDJが居て、どうやらダブルブッキングされてたみたい。朝から重いレコードを持ってうろうろして色々選曲を考えながら準備万端で登場したのでかなりがっくりした。その後、このままでは終われないということで、ウィリアムズバーグでゆきさんと二人飛び込み営業を繰り返した。4、5件回って疲れ果てたところで、ここが無理だったら今日は帰ろう、と最後に寄ったEast Riverというバーが、「今日DJ居ないし、いいよ。」ととても気さくにターンテーブルをかしてくれた。お客さんはほぼ居なかったけど、大音量でかけれたし、何せたくさん回ってあきらめかけていたので、すごく嬉しくて、とても楽しい夜だった。


その日に回ったバーから後日連絡があって、水曜日やる?と声をかけてもらったので、本日ひさびさにShakers3人でやります!



前はふたりでCDを持って営業してたけど、結局連絡きたことなんて一度もなかったのに、その日レコードを持って「ダブルブッキングされたんで場所探してて今すぐDJできます」というほうが、話を聞いてくれてすぐ決まったりする。あれが無駄だったとは思わないけど、こういうほうがずっと効果的ということがわかった!






今週の一枚:

Dee Dee Sharp Gamble "what colour is love"

ものすごい吸引力はないにしろ、佳作がつぶぞろい。フィリーにはじめていったときに買って、一度聞いてまったくピンとこないまま放置されていた一枚。我や個性がいい意味で水で薄められたような、すんなり入ってくる音質はなんだか何度も繰り返してしまう。何でもそうだけど、そのときわからなくても、それはその作品や人や言葉が悪いということではなくて、自分がそのときそれを必要としていないからということも多い。いつのまにか自然にすっと入ってきたり、やっぱりしっくりこないな、ということもある。常に好奇心を持つというのが一番いいことだ。


2011年11月4日金曜日

S O U L M A T E S



犬が好き。毛並みをなでているだけで、手から究極のいやしがとくとくと流れてくる。あの適度な体温や呼吸のかんじ、目のうるおいや湿った鼻が、好きでたまらない。犬を飼ったことない私が言うのもおかしいけど絶対的なソウルメイトだと感じるんだな。いつか自分のことが今よりもできるようになったら、静かで大きな犬と一緒に暮らそう。




2011年11月3日木曜日

take me there


この曲が好きで好きでたまらない。良い曲だなって思う曲は五万とあるけど、ずっとそのことばかり考えて気を取られてしまうほどの、究極の一曲にはそう簡単には会えない。今日も朝から、一日中あの楽しくて気が弾む、楽しい歌声を思い出していた。It Only Happenes (When I look at you)。カバーだけど、このバージョンが好き。これほどまで愛せる曲に、生きているうちにどれくらい会えるんだろう?




2011年10月28日金曜日





脳みそが乾ききってカサカサにひからびていく。何も言うことがなくて、たったひとつの単語さえ出てこない。ある日は自分が目的のある場所に行ってお金をもらえることに心からありがたいと思うのに、次の日にはここを出て二度と戻りたくないと思う。自分の好きな物にたいする情熱を、日常のくたびれたルーティーンからどうやって守ればいいんだろう?


My brain is drying up. Nothing to let out, all gone. Sometime you feel like any single word is not coming out from you. One day I appreciate that I have a job that I'm not hating, and the other day, I want to walk out of the room and never return. How do I protect my passion towards something that I love from worn-out routine? Why I don't love the thing that I used to love so much? Is it me, or them, or age?

2011年10月26日水曜日

Random Days

昨日はDJ SCRATCHの45セットを見にゆく。Bone Crusherがかかったのと(45なんてあるんだね)SCRATCHの左腕の幼稚園児が描いた宇宙人のようなタトゥーに終始目が釘付けだった。ソウルのセットで、「私スクラッチと趣味がばっちり合うわ。いい友達になれそう。」とずっと勝手に思っていた。

Went to see DJ Scratch's 45 set last night. Highlights were Bone Crusher, (Never Scared in 45? hello? ) and his left arm's awkward tattoo. His soul set ensured me that we have a pretty similar taste each other. We can be a good buddy.




今週の一枚。Soul Fever / Marie "Queenie" Lyons, Reissue。汗ほとばしる、スパンコールの衣装をタイトにまとったシスターソウルといったかんじ。JBプロデュースの曲も収録。シスターソウルはアルバムを通してきくと最後のほうにシャウトがキンキンして耳障りになりがちだけど、これは何度も聞ける。いい曲たくさんで、うれしい。

Album of the week / Soul Fever by Marie "Queenie" Lyons, Re-issue. Sweaty, sequins-costume kind of sister's soul. Includes one song of JB's pro. Sometime I cannot take women's vocal until the whole album finished cause high-tone voice annoys me. This does not get in my nerves at all. Many great songs.


新しくあけたせっけん。真四角できもちいい。ひどく金欠のときに、一番安いせっけんを掴んでレジに行ったら、4倍くらいした。そういうとき、「やめます」と言えない人。

New soap. I like how perfectly square it is. I was so broke when I bought it so I grabbed the cheapest one in pharmacy, then cashier screen said the price four times higher than I expected. I can never say "I don't want this" in these kind of situation. My weakness.


ネイルっておしゃれでもあるけれど、こういう単調作業を何も考えず意識を向けてやることで、心地よいヒーリング効果がある気がする。色を選ぶのもたのしい。

Nail is fashion of course, but for me, it's very personal and healing process. Focus on this simple thing, and it always bring me mind-soothing feeling somehow.


そういえば、Good Recordsのふくろがかわいかった。なんだか、昭和なかんじ。小学生のときの、いわゆる「CD屋」を思い出す。

Cute shopping bag from Good Records. Reminds me a small record-store in mall of my childhood.

2011年10月24日月曜日

my room is an egg shell


眠りすぎた日曜日、起きると目が不細工に腫れている。9ストリートのコーヒーショップに行くと、生徒らしき人やビジネスマンがせかせかと調べものをして、真剣にパソコンに向かっている。皆同じ方向を向いていて面白い。久しぶりにラテを飲んだらとてもおいしかった。コーヒーをおいしいと思ったことはそういえばあまりない。レコードは見ないつもりでも、どうしても足がそちらの方向に向かってしまい、グッドレコーズで7インチを一枚。そして、久しぶりにブリーカーボブのレコードに寄る。レコードだけは、散財してもなぜか自己嫌悪に陥らない。お金をつぎ込む最高の言い訳だ。

人と会って帰って来て、今すごく暗い部屋でうとうととレコードを聞いている。マニキュアなんかを塗りながら。ボーカルのない、ぽこぽこした曲だ。音の脈にどこか血流を感じる。昔の人が、未来を見たようなものは、今私がみている現在より、絶対的な希望でひたひたに満ちているのがいい。60年代と70年代の音楽は、未知のものに対していつでもどこか楽観的な印象が強い。

いいことを書こう、意味のあることを書こう、として気張っていると書けなくなってしまったブログ。今日、インスピレーションを、私よりずっと年下の女の子からもらった。思ったことを残すのは、かしこまることじゃない。いろんなことを、少しずつ取り戻していこうと思う。


2011年10月8日土曜日

you can drive my car



Mind blowing... You know when you get out of the dark exit after the film and it was shockingly good, you can't really talk much about it. Not being able to digest, analyze,describe, nor critic what's inside of your mind. These things are only for boring movies. My heart are still pounding hard, and feel like looking for a continuous scenery of the film in the city's night. Worth to watch.

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エンドロールの暗闇を出て、どきどきと胸騒ぎがする感覚が今もまだ残っている。消化することも、分析することも、真面目になって批評することもできないくらい、くっきりと、興奮が煙たっている。今晩、久しぶりにその振動が心を突いた。外に出ても、流れる街がいつもと違って目に映り、どこかで映画の続きのシーンを探しているような、そんなざわざわした気分。

2011年10月5日水曜日

I'm in the mood of golden R&B these days. It's all about baggy jeans, socks with boots, Tommy Hilfiger, serious dance coreography, hoops earring, hair braids, tank tops, all black skin tight outfits, Nike Air Force, PNB, Kangol hats, cliche stories of men and women / boys and girls. It's as cheezy as you can be, and it's almost too perfect.









2011年8月6日土曜日

beautiful journey



yesterday, I allowed myself to stop by the record store on the way home. I was saying myself "Hanako, you can only spend up to $20 today. OK?"


The place is where I check every once in a while, they are usually hit or miss kind of store. The thing I don't like about there is they don't have listening station, so I always ended up trying something unfamiliar and completely fail. But still you can find something good in super cheap if you really dig into it.


I browsed an hour, found five 45s, and brought them to the register. The guy named Rusty brought me the little "special" 45 box from the back, asked if I want to take a look. Why not? That box was a pandora that I should never open. That was it. I left the store with empty wallet, deep guilty, and rushed to home to put this jam on my turntable. Rusty showed me sneaky smile, and "this is for me, but I will play for you." and when I heard the drum that I love to the death… I was super jealous. Music is the endless journey, but it's been a great ride for sure.



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先週、”花子、今日は20ドルだけ。わかった?”といい聞かせながら、仕事帰りにレコードを買いに行った。


そのお店は遅くまで開いているという理由でごくごくたまにチェックするんだけど、何せリスニングステーションがないために買う前に聞けない。レーベルとアーティスト名でなんとなく買って何度も失敗したことがあるけど、頑張って時間をかけて探すといいのが安い値段で見つかることもある。


一時間ぐらい見て5枚ほど選んでからレジに向かうと、ラスティーという店員が「裏にスペシャルなボックスがあるよ。見たい?」というもんだから「そりゃもちろん」といって見たのが最後、これが開けてはいけないパンドラの箱だった。お財布をからっぽにして、罪悪感が肩に重くのしかかるまま、家路についた。ラスティーは、箱を見せてくれる前に、「これとこれは俺の」といってよけてあった45を、「これは売れないんだけどね、聞かせてあげる」とにんまり笑った。何度も何度も聴きまくった最高のドラムが聴こえくると、そのままレジから動けなくなってちょっとだけ時間が止まったみたいだった。音楽の旅はエンドレスだ。そしてそれは、いつでもどこでも行けるたまらなくいい旅だ。

2011年7月7日木曜日

after hours



You don't know what you got till it's gone. Good time is always like that. Maybe the life itself is.

I worked in a exceptional, very special restaurant past 10 months in East Village. Although it's just a side job and nothing more than that, the place meant a lot to me. That was the first time I exposed to the various people in various backgrounds. After I finished college that I made only one friends in 4 years, working in same Japanese restaurant for 4 years, had same Japanese boyfriend for 4 years, my world was pretty small even though that I didn't recognize that at tat time. Some people there are legal, some are not, some were rich, some were broke, some were young, somer were old. They were all different. That was a beauty of it.

The place brought me brand new encounters whenever I stepped my feet in. I like the girls there, the talkative, bad mouth, listeners, nasty,hilarious, thoughtful,and honest girls.

Now, everything seems like changing, which is taking time and energy for me to admit. Change is good, if person does not accept the transformation, what does the life mean? At the same time, I cannot lie myself to feeling heart broken seeing the places going to be falling apart.

I can be too sentimental and emotional, but that was how special that place was. Good people, good music, good food... When I closed my eyes, I can vision myself as if I'm there, listening the stupid jokes, laughing my ass off, checking out the cute boys, talking about the problems / happiness in the life, and say hi to old regulars. It was sure a great moment in my life, I'm not over exaggerating. I never knew I think like that few month before. Life is too short, as all of us knew already. Enjoy the every second fully, even it does not seems so valuable at that moment. This is the lesson I alway trying to remind, but easily to forget in a daily routine.



素晴らしい日々は、去ってしまったあとにいつも気づく。良い時間というのはいつでもそうだ。きっと人生自体がそんなものなのかもしれない。

この10ヶ月、すごくいいレストランで働いた。他にも本職があるから、ただのバイトでしかなかったけど、私にとってはたくさん意味のある場所だった。様々なバックグラウンドを持つ人に、たくさん会った。若い人、年上の人、違法の人、そうじゃない人、お金持ちの人、お金のない人。みんなが違って、だからその場所は美しかった。

4年間通ってできた友達が一人だけの大学と、4年間同じ日本食レストランと、4年間同じ日本人の彼と過ごした私は、自分では気づかないうちにとてもちいさな殻の中で暮らしていた。そのレストランではじめてたくさんの国籍、年齢の人に会ったことは、働く一日全てが真新しく、新鮮だった。そこで働く女の子たちは、それぞれが夢を持ち、過去を持ち、ひたむきでキラキラしていたから、みんなの顔を見ながら、過激な話を聞いたり、ゴシップしたり、男の子の話をしたり、日々おきる色々なことを話したり、口が悪くておしゃべりなみんなの話を聞くのが大好きだった。

今、全てが変わろうとしている。そしてその変化に対応するのに、いろんな感情や気力が必要で、なかなか思うように追いつけない。変化は生きている証拠だ。変化を受け入れないと、生きている意味もない。ただ、こんなに素晴らしくかわいい場所だったところが、変わり果てる経過を見るのは胸が痛い。本当にあれは、戻ってこない良い時間だったんだな、昨日帰り道で、みんなを見送って心からそう思った。人生は短い。たとえその一瞬がまた明日も続きそうで特別には見えなくても、思い切り吸い込んで生き抜くしかない。

2011年6月29日水曜日

good times




Unfortunately, socializing is not my thing. You can't imagine how many times I wish it would be different. If I can be more friendly and open minded to the new people. But it's awkward and uncomfortable anyway if I try too hard.

But last night seemed to be a bit different. On the way home, I could simple say "It was a good night", even it's only a Monday and still many more days to go, so many shit to do at home, next day is busy day at work, who cares when you really think you had a good time. I think that's what music does to you. Meet the new people, share the moment, spread a bit of point of view. Even my dark circle worth it. Sip the Red Bull, and I will be fine.

2011年6月14日火曜日




stop pretending that you don't care when you do.

be the women who you want to be!

2011年6月11日土曜日

村上春樹のスピーチ

【バルセロナ共同】9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)

 「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1・8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。


 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。


 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。


 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。


 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。


 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。


 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。


 どうしてか?


 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。


 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。


 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。


 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。


 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。


 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。


 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。


 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。


 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです


 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。


 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。


 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。


 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。


 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。


 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。


 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。


 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。


 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。


 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」


 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。


 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。


 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
 理由は簡単です。「効率」です。


 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。


 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。


 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。


 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。


 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。


 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。


 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」


 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。


 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。


 「大統領、私の両手は血にまみれています」


 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」


 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。


 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。


 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。


 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。


 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。


 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。


 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。


 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。


 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。


 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。


 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)

2011年5月25日水曜日

bleeding heart

今日マックイーンの展示を見にメトロポリタンに行った。

ひとつひとつの恐ろしいほどの存在感は、
何か言葉にできないものの恐怖と紙一重で、
血がにじむくらいの力強さが宿っている。

彼はアーティストだったから、
そのみんなが深い心の底に持っている恐怖を表現した。
だからたくさんの人に響いた。
みんなが心をえぐられた。

マックイーンは
死に対する恐怖や興味や緊張感に、
立ち向かう女性に思いを託し、武装させた。


死を惜しむ声はあとをたたないけど、
やり残したことは何もないような気がする。
さびしくて、でもすがすがしくて、
こわかったけどとてつもなく澄んでいてきれいだった。

2011年5月24日火曜日

drive me nuts



normal scenery of new york subway.
well... not really.

Happened this morning. sorry.

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Oh rain, rain, why would you do this to us?
As I unpacked the summery cotton and cut-offs from the dusty closet
to be ready for the smily sunshine,
why do you want to postpone this already-short-most-fun seasons?
Weather God, you don't love New Yorkers, do you?

I know, rain will stop anyways, so as my meaningless questioning,
but come on....






2011年4月30日土曜日

日々の生活に少しずつ慣れていって、
起きる時間や仕事に出かける時間、
ごはんを食べる場所や昼休みの過ごし方、
家に帰ってご飯を食べる時間、
シャワーを浴びてベッドに入る時間、
そういうもののサイクルができあがってくると
なまけているわけではないのに
どんどんと溺れていく感じが否めない。

やりたかったことと本来違うことをしていて、
仕事もきちんとこなす大人の人をいっぱい見てきて
なんでこのひとたちはやりたい仕事をしていないんだろう、
といつも疑問に思っていた。
でも、今は何となくわかる。
そしてそれは自分が思っていたほど
人々が怠慢になったり、大人になって情熱を失ったりとか
そういうことじゃないんだということもわかった。

答えは簡単だ。思いが強くないと、人は簡単に忘れる。
そしてそれでいいこともきっとたくさんある。
そこに自分の存在価値があれば、
それは誇るべきことであるから。
だからそれもいいことだ。

ただ、これからどうしたいかと考えたときに
途方も無く白紙に戻ってしまって、
何も答えられない自分が死ぬほど悲しい。


2011年3月14日月曜日

日本のすべての人に適切なヘルプが行き届きますように。余震におびえる人たちが、どうか安らかに休める日がやってきますように。

2011年3月4日金曜日

today is the day

Can I be happy for 100%, complete live in the moment now? I will work hard,and have fun harder, I promise. So can I please just receive this relieve and happiness entirely without any guilty or anxiety, and enjoy the every single drop of it? I need a music to celebrate. Good one.

2011年2月19日土曜日

here comes the sun

When New York weather treating us nicely, I get scared. Because I know winter will coming back harder. But it's impossible not to enjoy this adorable sunshine. In this weather, I can walk 10,000 blocks if you ask me to. (New Balance shoes needed)

It can be too heavy for this present day, but I had to post this...



I can clearly imagine the reaction of people for this, most people raise their eyebrows and some may not be able to watch til the end. It is shocking visually, and I was speechless. I don't know how can I say this, it's disgusting, powerful, new, reckless, angry, dark, and sad. But that' what it is, I guess. Youth... I have eternal attraction for the kids. (not meaning sexually of course) It's almost the vomit,that you forced to throw it from the mouth (and they like to vomit). And most importantly, I love their music. I had not have this kind of crush for a long time. I like the strong power that they don't care if they die, they don't care if someone got hurts, and just stay high for nothing. Odd Future is certainly odd but future, like it or hate it, as the name says. I would love to watch 10 years from now, what they will make. Hope they will not die by then. I really hope so.

2011年2月9日水曜日


Writing is what I used to really enjoy. It's the symbol of freedom and my creativity, even in a little thing such as how I pick the vocabulary, how the sentence order should go, and how I put it all together. I feel quite uncomfortable if sentence is unintentionally smooth or un-smooth. Then, when I started writing for getting by, it's not as fun as before any more. I think I am in a slump right now. This is such a normal thing, I know, that comes to everyone who choose to eat a bread by doing something you like. Musician, artist, anything who caught up into. Mine is not that serious, because I'm still not sure that writer should be a main focus in my career, but my frustration of unskilled English and restricted freedom of speech is killing me right now. and it's sad and heartbreaking that I can't love the thing in a way that I used to anymore. Honestly I cried in the pantry. Wiped my tears with my jersey top. I know I can be a very dramatic person, sometime take things too seriously. And I know I'm gonna forget this stress by the end of the night. I am just writing for my healing process because that's what I do anyway.I hope I can find clear borderline for my love and my job soon and be emotionless when I write for paychecks.

2011年2月2日水曜日

私は消費者です


ファッションにかかわる仕事をしているけど、私の目線はいつも消費者だと思う。買い物が単純に大好きで、そこにプロとしての分析や思考はなく、ただものを買いにお店をおとずれるのが好きだ。ある業界に長く居ると、そこで目が肥え経験を培うので、純粋な目線で自分のフィールドを見るのは難しくなる。音楽でもアートでもファッションでもそうだけど。私は基本的にアマチュアなので、ビジネスマンとしてとても中途半端で、普通に欲しいものを手に入れたいだけだから、「こういうものを作ったら売れるかも」とか、戦略的な考えにとてもうといので、消費者サイドだ。

だから、消費者の意見として、お店はとても大切だと思う。中学生のとき、ファッションに興味を持ち始めて、自分で住所を調べて行ったお店やそこに置いてあるものに感動したことや、店員さんの服をたたむ姿、初めて憧れのお店で買い物したとき紙袋やステッカーを大切にとっておいたこと、人はそういう気持ちを忘れない。全部記憶として残っている。お店は、すべての場所がひとつの大きなプレゼンテーションだ。だから、そこの場所が特別であると感じさせることがいいお店のあり方だと思う。

感動しなくなると、表現できなくなる。プロであるということは、そういう危険性もある。もちろんそれができない人はもともとプロではない。だから私はものを提供する場所でも、買い物のお客さんとしての気持ちをずっとずっと忘れずにいたい。となんとなく今日思った。